生活に希望
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希望

精神的傷害、家庭の不和、腐敗、暴力、世界環境汚染、不安、これぞ現代の事実です。しかし、希望こそ最後まで残るものです。希望こそ逆境にある人の心を支えてくれます。
ですから当雑誌の文書は希望に満ちています。将来に対して信仰と希望に満ちています。なぜなら、神様は将来をご存知だからです。闇の向こうには、青空があります。
下記の住所へご連絡入れてください。よりよい人生を見出すことでしょう。
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精神的創傷を乗り越える希望
あれはアメリカの歴史で最も暗い102分だった。2001年9月11日、最初の飛行機が世界貿易センター(World Trade Center)の北側のタワーに衝突した時から第2の建物が崩壊されるまで、世界中が息を止め、永く感じた102分だった。
「飛行機が世界貿易センターに衝突した。火がある。煙が多い。だけど心配はいらない。」トニー・ロッシャは妻のマリリン・マルケスに、電話が切れる寸前まで話し合った。1994年、経営大卒のトニーはマリリンと結婚した。良き夫であり、良き父親である上、ウォール街(Wall Street)のブローカーとしても認められるようになっていた。世界貿易センターの北側タワーにオフィスをもった有名な証券会社に務めていた。当社は千人の従業員のうち、700人も失った。妻と幼い子供を残して亡くなったトニーもその一人だった。
私達はバス、地下鉄や飛行機で旅行する時、様々の人に出会う。新聞や本を読んでいる人もいれば、隣の席にいる人に無関心で窓から外を見ている人もいる。見合わせること無い視線を持った命が行ったり着たりです。このなか、どれほど精神的創傷は多いものか。悲しみ、失望、砕かれた夢、悲劇、やるせない気持ち。私たちもこのような重荷を抱えていないだろうか。最愛の者を亡くして生き続けているマリリンは何人いるだろうか。
しかし、たいがい人生の大部分は災難や非凡な喜びではない。反対に、大方マンネリ化した毎日を送っている。そういう異常の無い時こそ創傷や災難の時のために準備をしなければならない。しかし、そのため何をするべきか。先ず、神があなたを苦しい過去の経験から解放して、精神的創傷を癒し、平静を取り戻そうと願っておられる事実を知ることである。そうすれば、あなたは、たとい苦しい経験に会うと知ったとしても、希望をもって将来をみることができる。生活が穏やかな時期に絶え間なく神様と交わり合うことによって、災難の時期を耐える力を得ることができる。
又、ブラジルの有名な作家フェルナンド・サビーノの言葉では、「しまいには何事も良くなる。まだ良くないなら、まだおしまいではないから。」という見解を覚えているのも良いだろう。そのとおり、聖書には、災難、苦しみや死に終止符が打たれることを信じる者に対して、この世の最後は幸福で終わると書かれている。偽ること無いイエス様は、聖書の中で2500ヵ所以上の聖句において、ご自分の再臨は確かであり、その出来事は人間の全ての問題の解決であることを約束されおられる。
主が語りかけてるかのようです。「火があり、煙も多い。だけど心配はいらない。」「全て、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところへ来なさい。私があなたがたを休ませてあげます」(マタイによる福音書11、28)。「だから、神の国とその義とを先ず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものは全て与えられます。だから、明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に、十分あります」(マタイによる福音書 6、33,34)。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配して下さるからです」(ペトロの第一の手紙5、7)。「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、また私を信じなさい。私の父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、私は場所を備えに行くのです。私が行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたを私のもとに迎えます。私のいる所に、あなたがたをもおらせるためです」(ヨハネ による福音書14、1-3)。
わすれてはならない、私たちを取り囲む 災難や悲しみの雲の上には、希望の太陽があるということ。その太陽の名はイエス様である。
ミシェエルソン・ボルジェス著
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家族への希望
マルセーラは涙をおさえることができなかった。彼女の結婚生活が灰色になったことを説明しようがなかった。3人の子の母親であり、社会人として成功し、仲間や知人から尊敬されていた彼女は、夫との違いとは単なる一時的な口喧嘩と不満に過ぎないと信じていた。しかし、彼女の世界は突然崩れ落ちた。夫のカルロスは少し人生を考え直す時間が必要だ、と言っていた。子供の一人は悪い仲間と付き合うようになり、他の二人は学校の成績が悪くなる一方であった。このような事柄を理由にして彼は家庭を捨てる決心をした。「なぜこんな状態になったのか」、と自分に問いかけていた。
今日、家庭関係は重いプレッシャーと争いに従っている。そこから生じる難局は両親たちに襲い掛かり、間にはさまれた子供に拡大して反響する。孤児の虐待、麻薬の使用、そして思春期の反抗はいくつかの結果である。家族関係が危機に直面するとき、すべての者が苦しむ。冷静に行動することが難しくなる。感情をコントロールできなくなり、不安、恐れ、怒り、ゆううつを引き起こす。このような光景はあなたにとって他人事ではなく、今堪えている苦しみの一部を表しているのではないだろうか。
家庭内こそ安全をもたらす唯一の場である。しかし、その関係がこじれると、結果は苦痛と悲しみである。家庭内で開かれた傷は一生涯、出血し続けるかもしれない。
このような暗く失望的な状況の中、家庭の幸福のかぎを見出すことができるだろうか。家庭難局に希望があるだろうか。
苦痛の中、マルセーラは友人の言葉を聞き入れ、神様に力と助けを求めた。自宅に近い教会を通い始め、夫に許しを願いかけた。彼は家にもどり、さっそく家族全員が教会へ行くようになった。「神様は私の家族を救い、私を変えた。今では子供達との関係までが変わった。」とマルセーラは語っている。
聖書には、神様は人間の個人生活だけではなく、家庭生活にも気を配られると書かれている。だから天地を創造された時、神は二つの大切な制度を定められた。家族(創世記2、23)と安息日の土曜日(創世記2、1-3)である。家族とは社会の基本的な核心であり、誰もが愛され幸福を感じなければいけない場所である。安息日とは家族のメンバーが共に創造者である神様を礼拝し、褒め称える日である(イザヤ書58、13,14)。神様は私達が幸福になるため必要なものを存知てます。「私はあなたの神、主である。私はあなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く」(イザヤ書48、17)。私達の誤りにもかかわらず神様は私達を愛し続けておられ、私達の家族に最善のものを願っておられる。「永遠の愛をもって、私はあなたを愛した。それゆえ、私はあなたに、誠実を尽くし続けた」(エレミヤ書31、3)。
神様は絶対に私達から離れない。私達は力の限り神様を捜し求めるべきです。「もし、あなたがたが心を尽くして私を捜し求めるなら、私を見つけるだろう」(エレミヤ書29、13)、と主は断言されます。
何千人もの夫婦を対象に調査した結果、神様に祈り、一緒に聖書を読む時間を保っている夫婦は結婚生活の継続率が90%から95%であることが確認された。
しかし、あなたとあなたの家族にとって最大の希望とは、間近なイエス様の再臨と約束された新天地であり、そこには「私達は、いつまでも主と共にいることになる」(テサロニケへの第一の手紙 4、17)。 そこで神様の家族の大集会が行われ、各参加者は完全な調和の中、永遠に生きるであろう。
マルコス・ブランコ著
あなたの家族の評価
1. 家族同士の会話はどうか。
2. 育児教育に関して夫婦の考え方は一致しているか。
3. 家族の良い点は。
4. 改善すべき点は。
5. お互い許し合うことができるか。
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社会平和の希望
この文書の序論は今日の新聞、また昨日のニュースにも、あるいはいつの日にも当てはまるものです。あなたは簡単に、最近あった出来事、あるいは過去の出来事、遠いところや近いところで起こった出来事を思いうかべることができるでしょう。近代のコムニケーションはとても便利で、簡単にすべての出来事、特に衝撃的なものを取り入れることができ、事柄を知らなっかたとは言い難くなりました。
考えてみれば、コンラード・ローレンツが人間の威厳な資質や能力が失われつつある事実を”終末論プロセス”と名指したことに同意せざるを得ないものです。我々は悪癖に囲まれ、あらゆる不品行や堕落を見とどけ、恐怖の人質にりつつあります。
人類は危機に直面しています。すべてのものを、自分になるべく早く刈り取ろうとする概念(個人的にも集合的にも)は人間関係を無残な状態に堕落させています。
まだ6歳の若干なジョアン・エリオ君がリオ・デ・ジャネイロで殺された後(彼の致命傷は強盗に襲われたとき、家族の車から逃れ遅れ、シーとベルトに引っ掛かったまま街路に引きづられことです)、
プリンストン大学倫理学専門のピーター・シンガーはこのように述べています。「普通であると思われる人々がこのような残虐なことを行うのは、社会の自制が失われはじめ、人々が正当と不正とを区別できなくなっているしるしである。」
私たちがこのような問題ばかりに気を引かれているのでしたら、人類には打開策が無いという結論に至る十分な理由があります。しかし、腐敗した社会にまだ希望があるという朗報があります。打開策は人類の外部から訪れるものです。神はすでに適切な措置を講じられました。このご計画は聖書に公開されていて、私たちの希望の根拠です。
神のみ言葉の第一の目標はローマ人への手紙15章4節に書かれています。「これまでに書かれた事がらはすべてわたしたちの教えのために書かれたのであって、それは聖書の与える忍耐と慰めとによって望みをいだかせるためである。」同じく使徒パウロは励まし続けています。「どうか望みの神が信仰から来るあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によってあなたがたを望みにあふれさせて下さるように。」(ローマ人への手紙15、13)
この使徒は私たちのあがないの戦略を明確にまとめています。「このようにいつまでも存続するものは信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは愛である。」(コリント人への第一の手紙13、13)
上記を読み通して理解できますが、まず出発点は信仰です。つまり、神にたより、計り知れなくても実在的で効果的なみ救いの計画を受け入れることからはじまり、到着点は神に対する、そしておたがいに対する愛です。双方の美徳をまたがるものは希望であります。しかし、聖書はこの世の将来に対する緒希望の上に「祝福に満ちた希望」(テトスへの手紙2、13)があることを述べています。それはイエスの再臨です。彼自身約束されました。「私はまた戻って来る。」(ヨハネ14、3)
マルシオ・ディアス・グァルダ著
提案
1. 希望の火をくべること。そのために最も効果的な方法は聖書研究です。聖書にこそ、他の原典が及ぶことのできない、人類の歴史が簡潔にまとめられているばかりか、その歴史に介入された神のみ摂理の情報で補われ、人類の問題を最終的かつ決定的に解決される神のご計画が信頼的に解き明かされています。
2. 参加すること。将来や神のご計画について特権的な情報を与えられたあなたは、社会状況を向上させる運動に加担し促して、人々が将来のために準備できるため助けてあげるべきです。
3. 絶望しないこと。この使命を果たすためにあなたは孤立していません。最も重要な部分は神ご自身が実行されました。天使たちも、多くの人々も同じ目標に至る役割を果たすのに務めています。そして、間もなく、ごくわずかの間に私たちの希望が実現されます。
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腐敗の排除への希望
あまり見えなくても常に実在しているものがあります。それを行う者はありとあらゆる手を持って隠そうとします。しかし、遅かれ早かれ、その結果が表われます。
残念ながら、それは私たちが生きている社会には必ずあるものです。頻繁にメディアが政府や企業界で勃発する不祥事を報道することにより、機関や指導者の面目が汚されます。時々、私たち自身も腐敗の痛々しい事実を肌に感じます。
国際透明度非政府組織が作成された、世界腐敗バロメーター2007年版によりますと、将来の見通しはあまりおもわしくないものです。60カ国において6万人を対象に行われたこの世論調査の結果は、すべての大陸の諸国においてこの災いがあきらかに増加したことです。昨年、世界中で約10人のうち一人はワイロを支払ったということです。ワイロはとくに警察官、裁判官、そして登記所や監査機関において起こります。
調査によりますと、回答者の半数は(4年前よりはるかに上回る率)腐敗が彼らの国では短期間に増加すると予知しています。また、同じく率の回答者は自国の政府の腐敗対策は効果が無いと感じています。
腐敗は悪性な影響をもたらせます。機間の信頼性が失われ、社会の道徳が薄れ、公正がゆがめられ、経済的、社会的発展を妨げ、司法の権力が鈍ります。
このような腐敗の荒波に希望を見出すことできますでしょうか。最終的に腐敗の起源は利己主義な人間の心にあります。それを取り除くためには、本質を変える必要がありますが、それは神のみできることです。キリストのみ、過去行った悪行為を許すことができ、自己放棄な愛をもって私たちを満たし、喜んで他人を仕えることできる奉仕的生活を送るのを助けて下さいます。彼が私たちに求られていることは、我々が罪を悔い改め、神のみ前に謙遜な告白をし、彼に従うため命をささげることです。
どんな状況においても、特に大多数の対立にあっても、私たちが完全であるために神は力をお与えて下さいます。人を変える神の力はすべての者に配置されています。それは私たちの利己主義や野心を利他主義と愛に取り替えるためです。
残念ながら、すべての者がその力を受け入れることはありません。変えられたくないからです。神は人間の自由意志を尊重され誠実に生きることを強制的に迫りません。しかし、いずれ最終的な裁きの時が訪れます。なぜならば神は「義なるさばき人」(詩篇7、11)だからです。キリストは栄光と王位とを持って戻られる、と約束され、「その時には実際の行いに応じてそれぞれに報いるであろう。」(マタイによる福音書16、27)。
イエス様の再臨は腐敗に終止符を打ちます。それは利己主義な生活を好み、神が与えようされいてる救いと新しい品性とを拒む者たちが抹殺されますからです。それと同時に主は救いを受け入れた者たちを寄せ集められ、義が勝るとこしえの神のみ国に連れて行かれます。
腐敗の増加はキリストの再臨が間近であることを指し示しています。使徒パウロは警告されました。「終わりの時には苦難の時代が来る。人々は利己的で金を愛する。」(テモテへの第二の手紙3、1,2)
あなたは不正が勝っているからとて、落胆する必要はありません。正義の側に固定して、根気よく主の再臨を待ち望みましょう。主よ来たれ。
カルロス・シュテーゲル著
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地球への希望
近年、世界中がドイツ学者エルンスト・ヘッケルが1869年に発言された“エコロギー”つまり自然環境について語っています。現在、雑誌、テレビニュース、本、映画、展覧会またはドキュメンタリーのテーマ(主題)となっています。
でも、このような興味はただこれらの課題に対して関心が高まっただけではありません。事実は長年積み重なった害に対して地球が反動し、あらゆる問題を表し始めたことです。ただメディアの世間騒がせな宣伝だと思われますが、地球温暖化など深刻な問題がこのような考えを裏返しています。
人騒がせな口論を避けて、冷静に警告の兆しをよく観察する必要があります。警告の兆しとは温室現象、地球温暖化、酸性降雨、氷河の溶解、給水不足、自然の反乱、生物多様性の削減、無制御な消費、大気汚染、砂漠化などの増加です。
このような状況に対してあなたは何をしていますか。調査や対策運動は進んでいます。世界的な問題は世界的な対策が必要です。国や企業も環境に対しての責任感が高まっています。しかし、個人的な協力も必要です。全てを出来ないことは、何も出来ないことを意味しません。
責任ある市民として次世帯へ地球を守る義理があります。またクリスチャンとして私たちは混乱ではなく秩序、破壊ではなく保護、浪費ではなく配慮を促進するため呼び出されています。物事を破壊する者は神の御旨に反する道を歩んでいます。ですから、ヨハネの黙示録11、18に記されているとおり「また地を汚す者どもの滅ぼされる時」が訪れています。もしあなたが将来の地球に生活し続けるつもりでしたら今からこの地球を守ることを心得なくてはなりません。
良いことに、私たちの良心的なイニシアティブに加え、もう一つ重要な援護の手が差し伸べられてます。アメリカの環境保護促進者テッド・ノードハウスとマイケル・シェーレンベリは最新の著作により地球の救いは科学技術にあると訴えています。しかし、本当の希望は他のところにあります。
聖書は新鮮な空気、尽きることない清らかな源泉、豊かな自然、完璧な環境に満ち溢れる理想な新しい世界を紹介しています。地球は創りかえられます。でもこの業は人間ではなく、神が行われます。神こそ危機に直面している地球への真の希望であります。
聖書の最初の本、創世記には豊かな生活を施す園が用意されたことが紹介されています。その環境は心地よく、アダムとエバは永遠に幸せを味わうことのできるパラダイスでした。残念ながらこの世界は失われました。しかし、聖書の最後の本、黙示録には命の源へ自由に至ることのできる完璧な環境の約束がまたみられます。
ヨハネの黙示録をあらゆる方法で読み取ることができます。その一つは生態学を通してです。当著には二つの都、バビロン(ローマ)と新エルサレムに象徴された二つのシステムが紹介されています。一つの都は搾取的、抑圧的、不正的です。もう一つは平和的、解放的、正当的です。
黙示録21と22章に描かれている新エルサレムは罪の面影が無い栄光なる都市です。人権は悪用されず、自然も荒されていません。都市の光景は素晴らしい建物で飾られ、命の木と命の川を含む豊かな自然で美しくさてれます。日常生活に不可欠な物は価なしに提供されています。永遠なる都には和解、正義と癒しが栄えています。
神の念願であるこの信じられない世界はあなたにあるものです。
マルコス・デ・ベネジット著
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生きる希望

t連休週末には必ず喜びや悲しみの話があります。喜びとは親戚や友だちとの出会いであり、悲しみとはこの世の快楽を求め焦るあまり、多発の事故によりけが、不自由と早死にが起こります。
興味深く致命的交通事故の原因は75%アルコール運転です。予防対策により楽しみの連休が数百人の命を奪う戦場化になることを妨げることできます。
多くの市民が命の尊重を無視していると同時に、長寿の秘訣に取り組んでいる研究所からは訴えの声明が上げられています。「良く永く、可能であれば不死身」。ケンブリッジ大学オーブリー・デ・グレイ遺伝学者は人間が一千年以上生きられる可能の論説の第一人者です。グレイ先生の意見は「将来、医学の進展により、現在あらゆる病気を治療することができるのと同じく、老化を防ぐ効力治療法を取り扱うことになる。」
医学が死の対策法を求め続けているとともに、無謀、遺伝性や予防不足のために最愛の者や自分の命が刈り取られ続いています。少しでも命を延期することをできますでしょうか。然り、ユーモアをもって機嫌よく、隣人を愛し、あまり思いわずらず、健康食を選び、清らかな水を飲み、アルコールを口に入れず、禁煙し、早寝し、運動し、命を神にゆだねることにより可能です。
いずれにせよ最愛する人に死が訪れたとき、神はあなたの苦痛を癒す素晴らしいご計画をお持ちになることを覚えてください。このご計画は自分の死体を零下196度まで冷凍して、いつか不治の病の対策技術が発見された時、よみがえらせてもらうのを待ち望もことよりはるかに的確です。神のご計画はイエス・キリストの言葉に示されています。「私はよみがえりであり、命である。私を信じる者は、たとい死んでも生きる。」(ヨハネによる福音書11、25)
イエス・キリストは十字架において亡くなられた三日後に復活されました。この出来事は私たちの人生に関わり合いあるものです。「神は主をよみがえらせたが、その力で私たちをもよみがえらせて下さるであろう。」(コリント人への第一の手紙6、14)。死人の復活を信じることは重要です。なぜならば「もし私たちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、私たちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。」(コリント人への第一の手紙15、19)。
復活を信じることは安泰をもたらせてくれます。「兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。私たちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。… キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえるであろう。」(テサロニケ人への第一の手紙4、13,14,16)
どうやら、少しでも寿命を延長することは私たち自身の努力により可能です。しかし、私たちが10年、20年、30年をも付け加えることができたとしても、その後何が待っておられるのでしょうか。死の暗黒です。アメリカ映画監督のウディー・アレンは生涯の作品により不朽の名誉を得た、と褒められた時、不機嫌に答えました。「自分は作品によって不朽な栄誉を得るのではなく、不死身による不朽性を得たい。」。
あなたも永遠の命得たいですか。イエス・キリストのみ、限りない豊かな生命をお与えになることできます。「生きていて、私を信じる者は、いつまでも死なない。」(ヨハネによる福音書11、26)あなたはただ、彼を自分の救い主として信じ、自分の命と希望の主として受け入れるだけです。この決心により、イエス様が再臨された時お与えになる永遠の命を確保できます。そして「人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。」(ヨハネの黙示録21、4)の約束を確信できます。
フランシスコ レモス著
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最大の希望
聖母マリヤは天使により彼女がメシヤの母になることを悟り、彼の降誕のため霊的に準備された。快い賛美をもって素晴らしいお知らせへの喜びを表された。「私の魂は主をほめたたえ、私の霊は救い主なる神を喜びます。」(ルカの福音書1、46,47)
彼女の期待は、救世主としてイエスが神の御言葉を聞き入れる全ての者に幸せを与えることでした。(ヨハネの福音書2、5)マリヤは救い主が苦しみを和らぎ、病人を癒し、悲しむ者を励まし、命を与えることを理解してました。彼自身も自分の使命を心得ていました。「私が来たのは命を得させるため、豊かに得させるためである。」(ヨハネの福音書10、10)
「神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、世が御子によって救われるためであった。」(ヨハネの福音書3、17)すなわち、神の御子はこの世に来られたのは、さばくためではなく、欠点を指摘することでもなく、硫黄の火に罪人を投げ込むことでもありません。彼はこの世を救うために来られました。
キリストの犠牲により私たちへ幸せになる可能性が訪れました。それは、私たちにより良い将来を切り開いてくださったからである。生まれつき限られた存在を越して、想像できない夢が叶えられます。
この世に居られたとき、イエス様は素晴らしい御品性を持ち人々をひきつけられました。命を得るため大勢の人が救い主の傍らを求めました。確かにイエス様により彼らは養われ、癒され、命を与えられましたが、時が過ぎるとともに空腹、病気と死がいずれ彼らにまた訪れました。この世においての生涯は罪の影響の下にありますから、イエス様は救罪の約束をされました。
「そして、私が行って場所の用意ができたならば、私はまた戻って来て、あなたたちを私のところに迎えよう。私のおる所にあなたたちもおらせるためである。」(ヨハネの福音書14、3)イエス様が遅れることはない事実を確信してください。「もう少しすれば、来ようとしておられる方が来られる。おそくなられることはない。」(ヘブル10、37)それだけではなく、「見なさい、彼は雲に乗って来られます。すべての人の目が、彼を見るのです。」(黙示録1、7)
神とともに生きることは、罪の悪影響無しに命を味わえることを意味します。人類の最大の希望はこの約束にあります。「神の住まいが人々とともにあります。神は彼らの目から涙をすっかりふき取ってくださって、もはや死もなく、苦悩もなく、叫びもなく、痛みもありません。というのは、古い状態が失せ去ってしまったからです。」(黙示録21、3,4)
聖書は私たちがこの重大な問題を真剣に取り組むことを勧めています。「すべての人を罪から救うために、神の恵みがもたらされました。それは、私たちを訓練してあらゆる不敬虔と世の欲望を退けさせ、そして慎み深いまっすぐな、敬虔な生活を、今のこの世にあって送らせ、祝福された希望の、つまり、私たちの偉大な神と救い主キリスト・イエスの輝かしい出現を待望するようにさせるものです。彼は、私たちをあらゆる不義から購い出すために、そして、善い行ないに熱心な一つの民を清めるために、ご自身をささげられたのです。」(テトスへの手紙2、11-14)
マリヤがキリストの最初の来臨を喜び持って迎え、霊的に準備されたとおり、あなたも彼女の模範に従って救い主の再臨を待ちわびるときがきました。最大の希望が成就されることを信じるのに価値あり、喜びをもって願いましょう。「主イエスよ、来てください。」(黙示録22、21)
この希望が成就されるためには、条件があります。それは、あなたがイエス様をあなたの救い主と受け入れることです。彼はあなたの人生を変えて、暴力、腐敗と不安に満ちたこの世からあなたを取り出すことを望んでおられます。
ですから、前代未聞の宇宙旅行に準備しましょう。すなわち、イエス様は間もなくこの暗い世に来られ、あなたを「義がそこに住む新しい天と新しい地」(ペテロ第2の手紙3、13)導かれます。
Paulo Roberto Pinheiro牧師著
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